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若い頃には山登りに熱中し、失恋の思い出にフルートをかじり、会社の同好会で謡をかじり、どれもこれも中途半端、こんな足跡も思い出として記しました。


<山行
高校2年生の夏休み元山岳部の顧問の先生の誘いで初めてのアルプスを体験。以来山のトリコになり近畿、山陰(大山)、四国(石鎚)、日本アルプスなどを登りました。そして中アの正月合宿を最後に山から遠ざかってしまいました。10年間のめり込んだ山行、自分としては冬山合宿での体力の無さが身に滲みたことや過去の事故のことなどを引きずていたためか意外なほどあっさり止めてしまいました。
’59.7初めてのアルプス、白馬山頂より立山連峰 ’60.7 御岳 二の池を俯瞰する
’63.8 涸沢への途中横尾付近にて会社のワンゲル仲間と ’66.10 長い長い上りを登りきると徳本峠、そこから望む槍・穂高連山はトニカクすばらしィ!
’66.11 神鋼登研会のメンバーと御岳合宿 冬山シーズンを控えての訓練行 ’67.10 中ア宝剣山頂にて後ろの山は御嶽山
’66.3 八ヶ岳登山口にてこのあとは天候が崩れ登頂は断念! ’68.7 剣岳合宿に向けて別山乗越より剣八ツ峰方面を望む。チンネルでの岩登りは怖かった!
’68.11 富士山にて冬山訓練6合目付近で一休みこの年の富士山は割合穏やかでした
’67.8 中ア 夏の天狗岩 ’68.10 冬の天狗岩
’68.12中ア 桧尾冬景色 ’69.1中ア 正月合宿 ベースキャンプ地点にやっと到着。深いラッセルにみんな疲れた表情です

<ゴルフ>
昭和50年代の中頃 営業に移ってしばらくしてからゴルフ大好きの上司から「営業ならゴルフぐらいできないと」と半ば無理やり始めたのでした。筆おろしは確か石川県に出張の帰りに寄った羽咋GCではなかったかと思います。その後仕事にかこつけて北海道から沖縄まであちこちでプレーしました。日本中が元気で良い時代でした。しかし腕は少しも上がらずとうとう100を着るのが生涯の目標になってしまいました(>_<)。
最近は年に数回会社のOB仲間とプレーする程度になりました。

2013.5.25
久しぶりに元の勤め先からのご指名で現役時代のお客様とゴルフをしました。
場所は大宝塚GC 結果は私一人が大叩きで惨憺たるものでしたが素晴らしい五月晴れの下 楽しい一日でした。

いささか恥ずかしい写真ですが やっぱりこのスイングでは・・・という感じですね

<フルート>
2018.10 練習用に防音室(BOX?)製作
後近状迷惑を省みず雑音を出し続けて
いましたが さすが厚顔の私もちょっと気が
引けてきていました。そんな折にMDF板で
結構効果的な防音ボックスが出来るという
記事を見て早速製作に挑戦しました。
15mm厚の3×6のMDF6枚を購入し、
吸音材にはNETで15tのウレタンフォーム
のお安いのを購入しました。組み立てはビスケ
ットとシーカフレックスで密着をはかりロングビス
で固定。又給排気のチャンバーと換気扇、そ
れにLEDランプで照明をつけました。
寸法は92cmW×112cmL×182cmH
完成後防音効果を計測したところ20〜25dbの
減衰で部屋の窓を閉めれば外部からはほとん
ど聞き取れない位になりほぼ満足な結果でした。
これで存分に練習が出来るはずです。後はやる気
根気の問題?

2013.5 フルートを新しくしてしまいました!おかげで苦労していた低音が嘘のように鳴っています。
ついでに教則本も古いアルテからトレヴァーワイの改訂版に変更しました。あとは努力あるのみ!なんとか5年の内にはそれなりに吹けるようになりたいと思っておりますが・・・

1969年の秋、ある感傷からたまたま通りかかた楽器店に並んでいたフルートを購入してしまったのです。独習を重ねたのですが良い音が出ず、見かねた会社の同好者がいろいろアドバイスしてくれたのですが才能の性か上達もせずそのまま諦めてしまったのでした。
 ところが時間だけは有り余っているこの頃になって押入れの中から引き出して40数年前の教本で練習を始めた次第です。


<謡>
会社の同好会として「謡曲部」があり仕事の同僚の誘いに気軽な気持ちで1977年(昭和52年)に入会したのでした。先生は神戸観世の家で子供の頃から修行した方で、練習では先生は本は一切見ずとも題名と前回終わったところを伝えるとたちどころに今日の部分を謡って下さいます。また大変普及に対して熱心な方でそのお陰で月謝が大変安かったように思います。この先生のもとで1988年頃までの約12年間で30曲ほどのお稽古を付けてもらいました。しかしながらほとんど努力をしなかったため今や雰囲気ぐらいしか残っていない状態です。下の写真はある例会でお役を仰せつかって扇子を握り締めて大汗をかいているところです。